BinanDiary

令和5年度 BinanDiary

ある和尚の話。~サクラの戒め~

令和6年 3月19日(火)

サクラの芽吹きを観察していて、ある和尚の戒め(いましめ:「注意」の意)を思い出しました。

花にも咲く時機があるように、人にも咲く時機がある」というものです。

和尚は「学校の生徒はみんなサクラの花ではないぞ。学校の先生がそれがわかっとらん者が多い」と言うのです。

以下は、和尚の話です。

「春にサクラが咲くように、夏にはミカンの花、秋には菊、冬には山茶花(さざんか)が咲くように、花の咲く時機は違う。

学校におれば、みんながサクラのようについつい思ってしまう。

しかし、ある子は卒業と同時に結果が出せても、ある子はひと歳とって、やっと幸せをつかむことができるということはよくある。

人はいつその能力が開花するかがわからない。わからないから、人が成功したと聞けば、身を焼かれるような焦りや不安を感じる。

しかし、人が、あなたが、この世に生まれたことには必ず意味がある。自分の幸せと他者の幸せのために働く時機が必ず巡ってくるから心配しなくてよい。

サクラをよく見なさい。サクラはサクラでただ咲く春を待っているだけではない。花芽を付けない冬の間、しっかりと養分を蓄えて咲く準備をしている。

人も同じ自然界の生き物だから、自分の咲く時機に備えてしっかり学んでおけば良い」と。

人が訪ねてくれる学校!

令和6年 3月19日(火)

今日、仕事のついでに記者のもとを訪ねてくれた若者がいました。

私の教え子です。10数年ぶりに再会しましたが、今は仕事に就いていて立派な姿でした。

学校に勤めていると、かつての教え子が訪ねて来てくれるというのは、とても嬉しいものです。

学校という場所で、先生や友達と出会い、学んだ生徒たちがまた行ってみようかなぁと思えるような学校でなくてはならないと考えます。

途中で進路変更をした生徒が、「先生、仕事、決まったでッ!」と、わざわざ言いに来てくれるのも、泣けるほど嬉しいものです。

立派な大人になる道は一つではありません。社会にいち早く出て学ぶこともまたその道です。学校に通うのはその道の一つにすぎません。

それぞれの道を進んで、再び会う喜びが感じられるのも「学校」という場所のような気がします。

そんなことを感じさせてくれた午後でした。

確かな春の訪れ。~玉野備南の標準木から~

令和6年 3月18日(月)

寒の戻りが心配されましたが、ここ玉野は良いお日和(ひより:「天気」の意)でした。

本校の敷地にはサクラの古木があります。

その中の標準木に定めているサクラの木の芽吹きを観察しますと、かたさが感じられますが、確かな春の訪れを感じました。

新しい方たちを迎える準備を、校内の樹々たちはしているようですね。

新しい出会いの準備。

令和6年 3月18日(月)

今日、チューリップの球根を植えました。

 新しい先生や新入生を迎える準備です。

植えた記者はもう花を見ることはできませんが、可愛らしくきれいに咲き誇ったチューリップが新しく玉野備南に来る皆さんを温かく迎えることでしょう。

時にはお水をやってくださいね!

あと30センチ足りないッ⁉ ~手作りコートの苦悩⁉~

令和6年 3月18日(月)

ソフトテニス部員は、今日も練習前に顧問の先生方とコート作りです。

地域の末吉様から部員たちの活動を応援したいとのことで、白のラインテープを御寄贈いただきました。

 

「うっ、あと30センチたりないッ⁉」

コート整備の作業中、思わず漏(も)れた言葉がこの言葉でした。一部ラインを点線か、破線にしようかとの思いもよぎりましたが…。それは止めにしました。

 

顧問の藤澤先生は「来年度の部活動予算に計上(けいじょう:「前もってお金を準備する」の意)しよう」と、部員たちを励ましていました。

「自分たちでコートを整備していくとコートの大きさを肌感覚として理解できますね」と校長先生。

モノが足らなくなったらどうすれば良いのか?十分ではない状況をどう考えればプラスになるのか?

「ものは考え様(よう)、気は持ち様(よう)」とはよく言ったもので、考え方や気持ちの持ち方でプラスにもマイナスにもなるから、人の在(あ)り様は不思議ですね!